芳香族化合物の反応と配向則

ベンゼンの電子状態、求電子置換反応の機構、置換基が次の置換位置を決める配向則を学ぶ。

この単元の目標
  • ベンゼンが付加でなく置換を起こす理由を共鳴エネルギーで説明できる
  • ニトロ化・スルホン化・ハロゲン化の試薬と生成物を書ける
  • オルト・パラ配向性とメタ配向性の置換基を分類し、多置換体の生成物を予測できる

ベンゼンの電子状態

ベンゼン C₆H₆ の6個の炭素はそれぞれ3本の σ 結合を使い、残った6個の π 電子が環の上下にドーナツ状に広がっています。この非局在化により、二重結合と一重結合が交互に並んだ仮想的な構造よりも大幅に安定になり、その安定化分を共鳴エネルギーといいます。実際、シクロヘキセン1 mol あたりの水素化熱が約 120 kJ/mol であるのに対し、ベンゼンの水素化熱は約 208 kJ/mol しかなく、「3つの二重結合があるのに3倍(360 kJ/mol)にならない」という実験事実が共鳴による安定化の直接の証拠です。

反応試薬(触媒)生成物
ニトロ化硝酸・硫酸(混酸)ニトロベンゼン
スルホン化発煙硫酸(硫酸に SO₃ を溶かしたもの)ベンゼンスルホン酸
ハロゲン化塩素+塩化鉄(III)触媒クロルベンゼン
アルキル化塩化アルキル+塩化アルミニウム触媒塩化メチルならトルエンなど
C6H6+3H2→C6H12ΔH=−208 kJ/mol>3×(−120 kJ/mol)\mathrm{C_6H_6 + 3H_2 \rightarrow C_6H_{12}} \qquad \Delta H = -208\ \mathrm{kJ/mol} > 3 \times (-120\ \mathrm{kJ/mol})

上の表の反応はすべて求電子置換です。求電子試薬 E⁺ との結合で芳香族性を一時的に失った中間体ができ、続いて H⁺ が外れると π 電子の非局在化が回復します。付加ではこの芳香族性を回復できないため、ベンゼンは通常、付加より置換を起こしやすいのです。ただし「付加生成物は必ず不安定」という意味ではなく、水素化は上式のように発熱反応で、適切な触媒・条件では進みます。

置換基の配向則

すでに置換基をもつベンゼンにさらに置換が起こるとき、既存の置換基が次の置換位置を支配します。これを配向則といいます。電子供与性の置換基はオルト位・パラ位の電子密度を高めるのでオルト・パラ配向となり、電子吸引性の置換基は全体の電子密度を下げつつメタ位だけが相対的に残るためメタ配向となります。

分類配向例反応性への影響
−OH\mathrm{-OH}, −OR\mathrm{-OR}, −NH2\mathrm{-NH_2}, アルキル基オルト・パラ配向フェノール → パラ位がニトロ化される反応を活性化する
−NO2\mathrm{-NO_2}, −SO3H\mathrm{-SO_3H}, −CHO\mathrm{-CHO}, −COOH\mathrm{-COOH}メタ配向ニトロベンゼン → 間位がニトロ化される反応を不活性化する
ハロゲンオルト・パラ配向だが反応は遅いクロルベンゼンのニトロ化電子吸引性で環を不活性化するが、非共有電子対の共鳴効果でオルト・パラ配向

🔍 なぜ −NO₂ はメタ配向なのか(中間体の安定性で考える)

  1. Step 1: 求電子試薬が環を攻撃すると中間体ができる
    ArH+E+→[Ar(H)(E)]+\mathrm{ArH + E^+ \rightarrow [Ar(H)(E)]^+}

    π 電子が E⁺ との結合に使われ、正電荷が環の上を数か所にわたって持ち回る中間体(σ 複合体)が生じる。反応の速さはこの中間体のできやすさで決まる。

  2. Step 2: オルト・パラ攻撃では正電荷が置換基の直上に来る
    E+ が オルト・パラ位へ攻撃⇒正電荷が C−NO2 炭素に出現\mathrm{E^+} \text{ が オルト・パラ位へ攻撃} \Rightarrow \text{正電荷が } \mathrm{C{-}NO_2} \text{ 炭素に出現}

    −NO₂ は強い電子吸引基なので、その真横に正電荷が来ると不安定になる。つまりオルト・パラ経路の中間体は不利。

  3. Step 3: メタ攻撃なら置換基が結合する炭素上の正電荷を避ける
    E+ が メタ位へ攻撃⇒正電荷は NO2 が結合する炭素には現れない\mathrm{E^+} \text{ が メタ位へ攻撃} \Rightarrow \text{正電荷は } \mathrm{NO_2} \text{ が結合する炭素には現れない}

    主要な共鳴構造では、NO₂ が直接結合する炭素に正電荷が現れないため、オルト・パラ経路より不安定化が小さい。結果としてメタ置換体が主生成物になる。ただし環全体は不活性化されており、ベンゼンより反応しにくい。

  4. Step 4: 逆に電子供与基ではオルト・パラが有利
    −OH,  −NH2⇒非共有電子対が環へ供給され、オルト・パラ中間体が安定化-\mathrm{OH}, \; -\mathrm{NH_2} \Rightarrow \text{非共有電子対が環へ供給され、オルト・パラ中間体が安定化}

    −OH や非プロトン化の −NH₂ は環を活性化する。ただし強酸性で −NH₂ が −NH₃⁺ になると電子供与性と配向性が変わるため、条件の影響に注意する。

例題

トルエンを濃硝酸・濃硫酸で処理したときのおもな生成物を示せ。

解答・解説

**o-ニトロトルエンと p-ニトロトルエン**の混合物(通常の一置換では o 体が p 体より多い。割合は条件による)。メチル基はオルト・パラ配向基なので、2位と4位が優先的にニトロ化される。

配向則は反応の順序を考える際にも使えます。たとえば p-ニトロ安息香酸を目指すなら、トルエンのニトロ化で得た混合物から p 体を分離し、メチル基を酸化する経路が考えられます。先にトルエンを酸化して安息香酸にすると、−COOH はメタ配向なので、続くニトロ化では m 体が主生成物になります。配向則は優先する位置の規則であり、他の異性体が全く生じないという意味ではありません。
練習問題
  1. ベンゼンの水素化熱(208 kJ/mol)がシクロヘキセンの約3倍(360 kJ/mol)よりずっと小さいことは何を意味するか。

    ヒント

    仮想の「1,3,5-シクロヘキサトリエン」と比べる。

    解答・解説

    ベンゼンが仮想的な交互配置のトリエンより約 152 kJ/mol 安定であることを示す。この安定化分(共鳴エネルギー)のため、付加で環の安定性を壊す反応は起こりにくく置換が典型となる。

  2. ニトロベンゼンを発煙硫酸と加熱したときのおもな生成物を示せ。

    ヒント

    −NO₂ はメタ配向基。

    解答・解説

    **m-ニトロベンゼンスルホン酸**。既存のニトロ基がメタ配向性なので、スルホン基はニトロ基に対して間位に入る。

  3. フェノールに臭素水を加えると直ちに沈殿が生じる。生成物と、反応が非常に速い理由を説明せよ。

    ヒント

    −OH は強い電子供与基。

    解答・解説

    **2,4,6-トリブロモフェノール**の白色沈殿。−OH の非共有電子対が環に供給されてオルト・パラ位の電子密度が高まり、しかも両オルト位・パラ位がすべて空いているため、弱い求電子剤でも一挙に3か所が置換される。

確認クイズ(芳香族の配向則)

問1. ベンゼンの典型反応が置換である主な理由はどれか。

問2. 次のうち、オルト・パラ配向基はどれか。

問3. 安息香酸をニトロ化したときのおもな生成物はどれか。

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